リバース 湊かなえ
以前は通勤時間によく本を読んでたけど
自転車通勤になってからすっかり読まなくなっていた。
何を呼んでいいかわからないと、言い訳している私に
ある日、いつも行っている美容院のお兄ちゃんから「なんでもいいから読み始めるといいですよ。」
と、言われた。
ちょうど、仕事を辞めて自転車通勤じゃなくなったのもいい機会だと思い、思い切って読み始めることにした。
湊かなえは、娘が読んでいたのをつまみぐって読んだことがある。
文面から年代が同じな気がして親近感がわくのと、どうしてこの人は学校の特殊な世界や母子の世界を
「そうそう、そうなんだよ」と思わずうなづいてしまう表現ができるのかと感心してしまう。
身近にも読んでいる人が多い。
そんなわけで読み始めた『リバース』(ネタバレあるかもです)
ついついストーリーだけを追ってしまう私は、なんでこう興味のわかないコーヒーの話が
鼻につくのかと、馬鹿だから読みながら頭のどこかで思っていました。
小説ってそういうものでした。(ていうか、表紙にコーヒーカップあるじゃない)
私がどうしてもこの小説に惹かれるのは、主人公の卑屈さ。
やっぱり、光のあたるところにいる人と、あたらない場所にいる人っていると思う。
光のあたる人にはたやすいことも、あたらない場所にいる者にとっては難しいことがある。
光のあたる人は、何もしなくても常に光の中にいる。
光がない人は、どうやって光にあたればいいかもわからない。
主人公は光のあたらない場所にいる人。
亡くなった人は光の中にいる人。
学生の時はとくにそんな区別を意識させられたと思う。
クラスという狭い空間にはいくつかのグループがあった。
おしゃれに気を遣う華やかなグループ。小ぎれいな成績もそれなりのノーマルグループ。
だいたいクラスはこの二つの勢力が力を持っていると思う。
残りは個性的なグループ。クラスの中心にはけっしてなれず、隅でグループを作ってまとまっている。
私はもちろんこの個性的なグループ。
個性的といえば聞こえはいいけど、華やかにも小ぎれいにもなれないんだから仕方ない。
どうしたって、あの中には入れなかった。
そういう想いを湊かなえはいつもとてもよく表現してくれる。
しかもその光のあたらない側からの気持ちを表してくれる。
主人公の自己評価の低さにとても共感する。
近頃は、イヤミスと呼ばれる物語が流行っているらしい。
読み終わった後味が悪い話。
もちろんこの物語も、この後主人公はどうなるんだろうと考えさせられる。
できれば、せめて良い方向になりますようと願わずにはいられない。
これ以上、光を奪わないでほしいと。
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